日曜日, 1月 23, 2011

僕の存在意義

最近、こんな事を思うようになってきた。




「僕は世間から必要とされているのだろうか?」

「僕は周りの人間から必要とされているのだろうか?」




最近、学校の友人と飲みに行く機会が増えた。
その席で必ず思う事が上記の事だ。




「この場に僕がいなくても何の問題もないのでは?」




どうしてだろう?
昔はそんなこと考えたこともないのに…




僕は自分の事を他人に話すのが苦手だ。
自分の弱みを知られるようで、嫌いなのだ。
普段も無口なほうなのだ。




これでも、この37年間、色々苦労してきたと自分では自負している。
自分で言うのもあれだが、色んな人の気持ちは理解できる方だと思う。
そんな事を考えると、簡単に自分の事など話せはしないのだ。

僕にはもう、親はいない。
親族と呼べるのは姉だけになってしまった。
もう、ホントに無くすものは無くなったのである。




こんな自分に何ができるのか?
こんな自分に誰が寄ってくるのか?
こんな自分に愛される資格はあるのか?
いつもそんな事ばかり考えてしまう。

僕にはもう何も残っていない。
お金も仕事も何もかも無くなってしまった。
ホントにどん底へ落とされた様だ。




そして、いつもの朝が来る。
毎日の苦痛に僕は耐えなければならない。
生きる苦しみだ。

人間には4つの苦しみがある。
生老病死。

生きる苦しみは、他の何より辛い。
ただただ、毎日時間が過ぎていく。
生きている証もなく…

もう、人が死ぬのはたくさんだ。
そして、生きていくのもたくさんだ。




誰からも必要とされていない、僕。
それでも、僕には必ず朝が来る。
この苦しみを抱きながら、生きていくのだろう。

ホントに苦しいのだ。
この苦しみは誰にも言えない。
誰も、相手にしてくれない。

もう、たくさんだ。
生きる苦しみ。
もう、たくさんだ。