金曜日, 1月 29, 2010

四つ葉のクローバー

街中で見つけたクローバー。

いい事、あるかな?

水曜日, 1月 27, 2010

人間とは、「思い込み」の動物だ

人間とは、何故にこんなにも儚いものなのか。

誰も言っていないのに、「自分はこういう人間なのだ」と
思い込んでしまい、結局その通りになってしまう。

マイナスな事を考え、誰の知恵も借りようともせず、
ただただ、思い込みに走りがちだ。

「自分はダメな人間」と思い、迷い、彷徨う。
途方に暮れる事もある。
目の前が真っ暗になる事もある。
明日に期待を持てなくなる事もある。

自分が今、何処にいて、どちらを向いているのか?
何に向かって進むべきなのか?
自分は、何をしなければならないのか?
何を信じ、何を疑うべきなのか?

人生とは儚きもの。
瞬く間に時間が過ぎていく。
光陰矢のごとし。
あっという間に1日が過ぎていく。

そして、何処までも、何処までも、落ちていく。
奈落の底まで落ちていく。

だが、そこには這い上がれるチャンスがあるのだ。
しかし、それに気付く人は少ない。
だが確実にチャンスはあるのだ。

知恵を絞り、勇気を出してそのチャンスを掴み取れ!
誰しもが諦める事を諦めるな!
常識を覆せ!

お前が持っているその「勇気」は最高のエネルギーへと変換されるだろう!
お前が持っているその「知恵」は最高の武器になるだろう!
お前が持っているその「体力」は最高の盾になるだろう!

今だ。今なのだ!
チャンスを掴むのは今しかない!
お前のその手を伸ばし、チャンスを捥ぎ取るのだ!

誰も信じなくていい。
信じる物はお前の「勇気」と「知恵」と「体力」だ!

此処まで、来い!
這い上がって来い!

どんなに足掻こうが、もがき苦しもうが、泥臭くなろうが関係ない!
人の目を気にするな!
形振り構わず、這い上がって来い!

お前なら「出来る」!
きっと成し遂げる!









頑張れ、オレ!

土曜日, 1月 16, 2010

あと100日…

僕の誕生日まで、あと「100日」となりました。

今年の僕は違います。
今年は「攻め」で行きたいと思っています。
もう、「逃げる」のはやめたいと思っています。

ただ、只管に走り続けようと思っています。


皆さん、どうか見守って下さい。

日曜日, 1月 10, 2010

キャットカフェに行ってみた

昨日、札幌にあるキャットカフェ「らぶねこ」に行ってみました。



「う~ん、このクッション気持ちいい~♪」



「もしかして、おやつの時間?」



「寝るの邪魔しないでね」
「僕はおやつを待ってるの!」


カフェにいたネコ達はもう大人のネコだったので
知らない人間には相性がなかった(笑)

でも、1匹だけ僕のデジカメのストラップに興味を持った
ネコがじゃれてくれて楽しい時間を過ごせた。

やっぱり、ネコだよね。
だから「Tom&Jerry」のTomが大好きなのです。

ネコって人に媚びないところがいいですね。
自分が遊びたいときだけ来るところとか。


久し振りにネコに触れ合って心が和みました。 ( ̄ー ̄)

火曜日, 1月 05, 2010

命の重さ

昨日、母親の火葬が終った。

頭蓋骨の色は薬物のせいでピンクがかり、
異様な光景だった。

骨壷に亡骸を入れていった。

その後、斎場に戻るときに骨壷を持ったのだが
その重さに驚いた。

これが「命の重さ」かと…

母親は耐える事を教えてくれたと思う。
今の私に足りないものだ。
そして、当たり前の事がどんなに大事なことなのか
教えてくれたと思う。

当たり前に、腹が減り、
当たり前に、食べたい物を食べ、
当たり前に、眠くなり、
当たり前に、寝ること。

この全てに感謝しなければならない。

人が「生きている」事は奇跡だと思う。
生きているだけで意味があるのだ。

これを読んでいる自殺を考えている方へ。
もう1度、思いとどまって欲しい。
命とは自ら断つものではない。
運命を受け入れ、死ぬまでもがき、足掻き続けるものだ。
そして、死ぬまで生き続けることなのだ。

生きていることは素晴らしい。
決して1人ではないのだ。
必ず、誰かに関わっているのだ。

死は必ず誰にでも訪れるものだ。
それがいつになるかなんて誰もわからないのだ。

それまで、必死に生き抜き、只管に走り続けるのだ。
それが、人として生まれた者の宿命なのだ。

だから、生きろ!
死ぬまで生きろ!
何があっても這い上がって来い!
何があっても吹き飛ばせ!

人生は自分で変えられる!

土曜日, 1月 02, 2010

人とはこんなにも惨たらしく醜く、悲惨な姿で死んでいくものだろうか?

昨日、母親が亡くなった。

ガンの末期で、医者には「ステージⅤ」と言われていた。

この年末、私と姉で看病を続けてきた。
そして私と姉が交代する、その隙間をぬって母親は死んだ。

今振り返ると、母親の人生は忍耐の人生だったと思う。
私が幼少の頃から父親にDVを受け、
私が自立する(私が25歳)時までDVを受け続けていた。
その間、離婚もせず、ただただ耐え続けたのである。

そして、私が自立するのと同時に家を飛び出したのだ。

その後、母親は乳癌にかかり、治療に専念した。
当時の乳癌は乳房を切除する方法しかなく、リンパ線も
切除していた。
その為、腕を自由に動かす事が出来ずに
リハビリをたった一人で行っていた。

その後、母親は一人で生活をする為、フルタイムのパートで働いていた。
その時私は仕事の関係で東京に住んでいた。
母親の所へは一回しか帰った事がなかった。
その時、私の目に写ったのは毎日自分の生活の為
汗水流して働いていた姿だった。

そしてその数年後に今度は卵巣癌が発覚し、
また長い治療生活が始まった。
発覚した時にはもう「ステージⅣ」と宣告されていた。
しかし母親は耐えようとしていた。
その病魔に。

初めの頃は2週間位入院して抗癌剤や放射線での治療だった。
しかしそれだけで癌を押さえる事はもう無理な状態だった。
去年の8月頃に入院してから、治療は止め、
進行を食い止める治療に変わった。
すると母親の容体はみるみるうちに悪くなっていったのである。
自分で起き上がれたのが出来なくなり、次第に歩けなくなり、
腕しか動かせなくなった。
肺に水が溜り、呼吸も困難になっていった。
最後は口でしか呼吸が出来なくなり、反応は目しか
動かせないのである。
その眼球にも癌が転移し、視力も低下していった。
こちらの呼び掛けにも反応しなくなっていった。
痛み止めに「麻薬」を使っていた為、意識は朦朧とし、
起きているのか、寝ているのか解らない状態が続いた。

それでも母親は最後の最後まで耐え抜いて、年を越したのである。

これで良かったのだろうか?
母親は満足して天国へ旅立ったのだろうか?
もっとしてあげられる事があったのではないだろうか?

私はこの1年で親を全て亡くした。
1月に父親。
10月に祖母。
1月に母親。

あと、家族と呼べるのは姉だけになってしまった。

私は何か大きな間違いを起こしてしまっている様な気がする。
そしてそれはもう一生取り戻せない大きな物の様な気がする。

私は考えを改めなければいけない様な気がする。

今まで祖母が教えてくれた大切な何かを忘れてしまっている様な気がする。

今年こそはその間違いに気付き、悔いを改めなければならない。
もっといい人間になる為に。

私は今、人生のターニングポイントに立たされているのだ。

当たり前の事がどれだけ有り難いか。
当たり前の事がどれだけ大切か。

この1年、思い知らされた。

「木を見て森を見ず」ではいけないのだ。

私は誰かの為に生きよう。
それは自分の為ではなく、誰か人の為に。
出来る事から始めよう。


今年はそんな年にしたい。

神様なんて居やしない。
私の願いを叶えてくれなかった。

そう、自分の道は自分で切り開くしかないのだ。
何もしなければ何も変わらない。
自分が変えなければいけないのだ。

今年はそんな年にしよう。
もう、神様に頼るのもこれで最後だ。
神様、あんたは何も叶えてくれなかった。
もう、あんたの事は信じない。
自分の事だけを信じる事にするよ。

この世に生まれてきたからには、この世を楽しく過ごす他ないだろ?
これからは思う存分、楽しませてもらうよ!