土曜日, 1月 02, 2010

人とはこんなにも惨たらしく醜く、悲惨な姿で死んでいくものだろうか?

昨日、母親が亡くなった。

ガンの末期で、医者には「ステージⅤ」と言われていた。

この年末、私と姉で看病を続けてきた。
そして私と姉が交代する、その隙間をぬって母親は死んだ。

今振り返ると、母親の人生は忍耐の人生だったと思う。
私が幼少の頃から父親にDVを受け、
私が自立する(私が25歳)時までDVを受け続けていた。
その間、離婚もせず、ただただ耐え続けたのである。

そして、私が自立するのと同時に家を飛び出したのだ。

その後、母親は乳癌にかかり、治療に専念した。
当時の乳癌は乳房を切除する方法しかなく、リンパ線も
切除していた。
その為、腕を自由に動かす事が出来ずに
リハビリをたった一人で行っていた。

その後、母親は一人で生活をする為、フルタイムのパートで働いていた。
その時私は仕事の関係で東京に住んでいた。
母親の所へは一回しか帰った事がなかった。
その時、私の目に写ったのは毎日自分の生活の為
汗水流して働いていた姿だった。

そしてその数年後に今度は卵巣癌が発覚し、
また長い治療生活が始まった。
発覚した時にはもう「ステージⅣ」と宣告されていた。
しかし母親は耐えようとしていた。
その病魔に。

初めの頃は2週間位入院して抗癌剤や放射線での治療だった。
しかしそれだけで癌を押さえる事はもう無理な状態だった。
去年の8月頃に入院してから、治療は止め、
進行を食い止める治療に変わった。
すると母親の容体はみるみるうちに悪くなっていったのである。
自分で起き上がれたのが出来なくなり、次第に歩けなくなり、
腕しか動かせなくなった。
肺に水が溜り、呼吸も困難になっていった。
最後は口でしか呼吸が出来なくなり、反応は目しか
動かせないのである。
その眼球にも癌が転移し、視力も低下していった。
こちらの呼び掛けにも反応しなくなっていった。
痛み止めに「麻薬」を使っていた為、意識は朦朧とし、
起きているのか、寝ているのか解らない状態が続いた。

それでも母親は最後の最後まで耐え抜いて、年を越したのである。

これで良かったのだろうか?
母親は満足して天国へ旅立ったのだろうか?
もっとしてあげられる事があったのではないだろうか?

私はこの1年で親を全て亡くした。
1月に父親。
10月に祖母。
1月に母親。

あと、家族と呼べるのは姉だけになってしまった。

私は何か大きな間違いを起こしてしまっている様な気がする。
そしてそれはもう一生取り戻せない大きな物の様な気がする。

私は考えを改めなければいけない様な気がする。

今まで祖母が教えてくれた大切な何かを忘れてしまっている様な気がする。

今年こそはその間違いに気付き、悔いを改めなければならない。
もっといい人間になる為に。

私は今、人生のターニングポイントに立たされているのだ。

当たり前の事がどれだけ有り難いか。
当たり前の事がどれだけ大切か。

この1年、思い知らされた。

「木を見て森を見ず」ではいけないのだ。

私は誰かの為に生きよう。
それは自分の為ではなく、誰か人の為に。
出来る事から始めよう。


今年はそんな年にしたい。

神様なんて居やしない。
私の願いを叶えてくれなかった。

そう、自分の道は自分で切り開くしかないのだ。
何もしなければ何も変わらない。
自分が変えなければいけないのだ。

今年はそんな年にしよう。
もう、神様に頼るのもこれで最後だ。
神様、あんたは何も叶えてくれなかった。
もう、あんたの事は信じない。
自分の事だけを信じる事にするよ。

この世に生まれてきたからには、この世を楽しく過ごす他ないだろ?
これからは思う存分、楽しませてもらうよ!

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